マタニティーを自粛!?
娘が生まれて、早いものでもう1年と5か月が過ぎようとしている。
1か月早く生まれたこともあり、いつの間にか生まれたと思っていたら、
いつの間にか普通に歩いている。
妻も妊娠中に「マタニティーマーク」を付けていた。
嫌な思いをしたことなどなく、むしろ席を譲ってくれたりと心優しい方々ばかりであった。
ところが、知らないところでは、下記のような事態となっているらしい。
一部の極端な事例であってほしい。
「多様性」が重要であることは、「グローバル」が叫ばれる教育界においては、
散々耳にするところである。
この多様性というのは、使い方が厄介なもので、
個人的には「認めて」ではなく、「認める」ことであると思う。
自分と異なる価値観、立場を慮り、許容することではないだろうか。
このように考えれば、今回のケースはなんとも"さもしい"事態である。
「なぜ、妊婦を認めなくてはいけないの」というわけであるのだから。
ただ、ここに、多様性の難しさがある。
すなわち、多様性が、価値観、考え方が相対的であることを意味している以上、
「なぜ、妊婦を認めなくてはいけないの」という考え方も、同様に意味を成すからである。
社会全体として、権利主張のみならず、寛容を醸し出す雰囲気がつくられればと思う。
もっとも、この雰囲気なるものも、ときに、恐ろしいものへと変化することもあるのだが。